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幼稚園や保育園から高校に至るまで、私たちは主に学校、すなわち教育機関で沢山の人との共同生活を経験してきましたよね。私は団体行動に少し苦手意識があり、時には人とぶつかることもありました。しかしその経験を振り返ってみると、今ではその経験こそが私の肥やしとなっているなあ、と過去の経験に感謝することがあります。
つまり、一人で過ごす時間であれば、他の人の事を気遣う事もなく自由気ままに過ごしてよいでしょうが、集団行動となるとそうはいきません。まして会社に入って人と一緒に仕事をするようになればなおさらでしょう。
さて、このように、集団行動に身を投じる際にとても役立つ四字熟語があります。それが「克己復礼」です。
この記事では「克己復礼」の意味や語源、英語表現・類義語や例文による使い方をご紹介します。
「克己復礼」の意味や語源
まず初めに、「克己復礼」という言葉を知る前の基本的な知識から抑えていきましょう。
「克己復礼」の意味
まず読み方ですが、「克己復礼」は「こっきふくれい」と読みます。
「克己復礼」とは「自分の欲望に打ち勝ち、社会の礼節や規律に則った行動をすること」「私欲を抑え、人の踏むべき礼に従って行動するということ」という意味です。
「克己復礼」の語源
次に「克己復礼」の語源について、ご紹介していきます。
「克己復礼」は中国に由来する四字熟語であり、一番最初に登場したのは有名な中国の書物である「論語」であるとされています。
中国の書物では通常「漢語」が使われていて、「克己復礼」もそれに当てはまります。
日本語でもっとわかりやすくするためには、その漢語を書き下すことができます。
「克己復礼」を書き下すと、下記のようになります。
「己に克ち、礼に復る」
読み方は、「おのれにかち、れいに帰る」となります。
全てが自分中心で我がままに振る舞うのではなく、きちんと礼節をわきまえて人として恥ずかしくない行動をとることができる、ということを示した四字熟語というわけですね。
読んで字のごとくではありますが、漢字だけでは読み解けない表現もあり勉強になりますね。
「克己復礼」の英語表現・類義語
それでは、「克己復礼」の英語表現や類義語をご紹介していきます。
「克己復礼」の英語表現
色々な国から様々な語学表現が生まれているように、「克己復礼」も英語で表現すると以下のような表現ができます。
- To obey the rule and regulation of the society with curb one’s desire.
- exercising self-restraint and confirming to the rules of etiquette and formality
ちょっと長くて分かりにくいかもしれませんが、どちらの意味も「克己復礼」です。
ちなみに、「To obey the rule and regulation of the society」で「社会の規制や規律に従う」、「curb one’s desire」で「欲望を抑える」という意味になります。
「克己復礼」の類義語
「克己復礼」の類義語の四字熟語は、以下の通りです。
- 隠忍自重(いんにんじちょう)
「隠忍自重」は「我慢して軽はずみな行動はしないこと」という意味があり、自我を抑えて取るべき行動を取ることができる様を表現した四字熟語です。
「隠忍自重」は良い意味でも悪い意味でも使えます。良い意味の場合は 「克己復礼」と同義を成しますが、反対に「引っ込み思案である」という悪い意味でも使うことができます。
その点の違いはありますが、類義語としても使えるので一緒に覚えましょう。
「隠忍自重」については、こちらの記事に詳しく書いています。
「克己復礼」の例文による使い方
最後に、「克己復礼」の使い方を例文と合わせてご紹介していきます。
【例文】
- 「彼はまだ10代なのに克己復礼な振る舞いが完璧にできている。どうやったらあんな少年になれるのだろう」
- 「はらわた煮えくりかえっていたが、ここはぐっとこらえて克己復礼に徹した。」
- 「うちの子は今イヤイヤ期で克己復礼とは程遠いけれど、少しずつ成長を見守ろう。」
- 「私の会社では克己復礼が周知徹底されていて、会社の業績も良い」
- 「僕はいつも自分のことにしか頭が回らなくて何とか直したいんだ。克己復礼を座右の銘にしてみよう」
「克己復礼」は自制心を表現する時に使える四字熟語ですね。他人の行為を称賛する時や自分の行いが理想的なものとなった時に使ってみてください。
「克己復礼な(振る舞い・態度)」「克己復礼に徹する」や四字熟語単体(名詞)としても使えます。
「克己復礼」という、周りと同調する大切さ
昨今では「個性」を大切にするという風潮が色濃く見える社会になりましたが、それと同じくらい「社会に同調する」ということも必要不可欠なのではないでしょうか。
誰もが一人で何かを成し遂げるということは難しく、気付いても気付いていなくても誰かが協力してくれていたり助けてくれたりしているものです。
自我を通すことも時には必要ですが、社会人としてのルールや礼儀は守れる器を持っておきたいものですね。
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